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流産や不妊治療を乗り越えて〜30代後半からの妊活について伺いました
第7回 2021/12/19放送
杉山愛さん
〜スペシャルインタビュー:クリフム出生前診断クリニック 胎児診断センター・胎児脳センター院長 夫 律子さん〜
中村:今回のゲストは元プロテニスプレーヤーで、現在はテニスの指導者、解説者、そして番組コメンテーターとしてもご活躍されています、杉山愛さんです。
今もお仕事をされていますが、ママとしてもお忙しいのではないでしょうか?
杉山:そうですね、出産したばかりなのでバタバタしてますけれども、だいぶリズムがつかめてきたかなという感じですね。
中村:下のお子さんはおいくつになりましたか?
杉山:もうすぐ5ヶ月になります。
中村:今はママとしてがんばられている杉山さんですが、17歳でプロテニスプレーヤーになり34歳まで続けられてきました。
私たちの中には「アスリートは生活のすべてをスポーツに費やしている」というイメージが多少なりともあるのですが、当時結婚や妊娠について考えたことはありましたか?
杉山:海外では現役時代に結婚する選手も結構多いんですが、私の場合、選手である間は自分のことだけでパートナーのことまで考える余裕はなくて、「結婚は引退してからかな」と思ってましたね。
中村:結婚や子どものことは引退されてから考えはじめたんですね。
杉山:そうですね。引退してからはいろいろなお仕事のオファーをいただいて、その中から自分が何をしていきたいかを模索していました。
忙しい毎日の中で「自分はどこに向かっているんだろう」という迷いが生じてたんです。
自分の頭を整理するためにやりたいことを書き出してみたら、最初に挙げたのが「結婚」で、2番目が「出産」でした。
選手時代は精神的に強いように見えたかもしれないんですけど、実際ひとりで生きていくほどの強さはなくて。「結婚したい、子どもも欲しい」と思ったんです。
中村:では妊活を考える前に婚活をされたんですか?
最初の妊娠、流産、そして人工授精へ
杉山:婚活するぞ、という気合はそんなに入ってなかったんですけどね。
ただ、「これだけテニスをがんばってきたんだから、神様はきっと自分にぴったりの人を目の前にポンとおいてくれるはず」と思いながら生活していたら、引退して2週間後に主人と出会いました。
神様はいましたね、本当に感謝です。
中村:結婚に焦ったり不安になったりする前に出会って、2年間お付き合いをされて、36歳でご結婚されたんですね。
ご結婚されていよいよ妊活ですが、具体的にどんなことをしようと思われましたか?
杉山:いきなり意気込んで「治療しよう」、「妊活しよう」というよりは、まずは「正しく体が機能してるのかをチェックしてみよう」と、気軽にクリニックの門をたたきました。検査をしたら、問題ないですよといわれたので、タイミング法から妊活をスタートしました。
子どもを授かったのはそれから2ヶ月後ぐらいでした。
中村:それは早かったですね。
杉山:子どもができたときは、妊娠検査薬を片手に舞い上がる気持ちでした。でも、次の心拍確認する健診の前に流れてしまって。
妊活する上でいろいろな情報を調べて、流産することもあるというのは知識としてはわかっていました。でも実際に自分の身に起こるとショックでしたね。
中村:心のどこかで「自分には無関係かも」と思ってしまうこともありますが、流産は頻繁に起こることでもありますよね。そのときの旦那様の様子はいかがでしたか?
杉山:ことあるごとに涙を流す私に「なんて声をかけたらいいんだろう」という感じで、すごくつらかったと思いますね。
ただ、やはり主人が常に寄り添ってくれたのは当時の私にとってはありがたかったです。
中村:その後気持ちを立て直して、今度は人工授精をされたんですね。